コラム(Paper-FightOnから)
Paper-FightOn(従来配布されているFightOn)からの「観戦記」「特別寄稿」「特集記事」などの他、
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2002年10月22日 18:42 (火)  Xリーグに所属するFightersOB一覧
EAST
鹿島ディアーズ オクダ シンゴ 奥田 真吾 H12
鹿島ディアーズ オカハシ ヒトシ 岡橋 徹 H13
鹿島ディアーズ トウハタ ノリチカ 東畠 功周 H14
鹿島ディアーズ ウエムラ ナオヒロ 植村 直弘 H7
富士通フロンティアーズ イシムラ ケンジ 石村 健司 H11
富士通フロンティアーズ ウエダ ノブオ 植田 将生 H11
富士通フロンティアーズ オダガワ マサシ 小田川 雅 H11
富士通フロンティアーズ シマ タイラ 嶋 平 H8
富士通フロンティアーズ ヤマムラ ノリカズ 山村 憲和 H9
LIONS ヒロセ ミツトモ 廣瀬 満知 H10
LIONS イトウ カズマ 伊藤 一馬 H13
LIONS スギウラ マサオミ 杉浦 正臣 H13
LIONS イマイ エイタ 今井 栄太 H6
LIONS クノリ ムコウ 久乗 六甲 H8
クラブダイノス近鉄 タケダ タカシ 武田 高志 H11
IBM BIG BLUE スガタ ミツヒロ 菅田 充浩 H10
IBM BIG BLUE モチヅキ タケシ 望月 岳史 H10
IBM BIG BLUE オオドウ タイジ 大堂 泰二 H12
IBM BIG BLUE マツウラ ヒロシ 松浦 広 H12
IBM BIG BLUE オカムラ コウタロウ 岡村 幸太郎 H13
IBM BIG BLUE トクチ マサヤ 徳地 正也 H14
EASTX−2
五洋建設パイレーツ モウリ タダヒロ 毛利 匡宏 H13
富士ゼロックスクラブ RAIDERS ハオ タケシ 羽尾 健志 H8
富士ゼロックスクラブ RAIDERS カワムラ フミヒコ 川村 文彦 H13
EASTX−3
BULLS 下村真三 S62
BULLS 芝川龍平 S62
BULLS ウメダ ナオキ 梅田 直樹 H10
BULLS タケベ テッペイ 竹部 鉄平 H11
東京電力AGGRESSORS キツギマサミツ 木次 正光 H8
日本ユニシスREDSCORPIONS ニシタニ トモヤ 西谷 智也 H11
ウォリアーズ マツヤマ シンジ 松山 伸児 H14
FIGHTERS ヤマザワ ケンスケ 山澤 賢祐 H11
X−4
伊藤忠クラブWINGS オカモト ヒデアキ 岡本 秀彰 H6

CENTRAL
SEAGULLS クノリ ケンジ 久乗 健次 H10
SEAGULLS タトミ ユウスケ 田富 雄祐 H12
SEAGULLS イケノウエ タカヒロ 池之上 貴裕 H4
SEAGULLS イシヤマ マサヒロ 石山 昌洋 H8
SEAGULLS ヤマモト ケンジ 山本 建治 H9
アサヒビールシルバースター ハナフサ マサトシ 花房 政寿 H11
アサヒビールシルバースター トミオカ ケンスケ 富岡 建介 H12
レナウンローバーズ イケダ マサトシ 池田 真敏 H11


CENTRALX−2
東京ガスクリエイターズ アビコ ヨウ 安孫子 庸 H9
電通キャタピラーズ サトウ カズヒロ 佐藤 加寿洋 H12

CENTRALX−3
安田生命Y‘sRED LIONS マキノユウイチ 牧野 裕一 H10
安田生命Y‘sRED LIONS カナサキ ヤスヨシ 金崎 吉保 H11
クラブエンジェルス 永野 章一郎 S62
三井物産シーガルズ アカサカ コウジ 赤坂 浩司 H12
三井物産シーガルズ アリマ ハヤト 有馬 隼人 H12
三井物産シーガルズ イカリ シンゴ 猪狩 真吾 H12
三井物産シーガルズ カトウ ダイ 加藤 大 H12
三井物産シーガルズ シバハラ アツシ 芝原 篤 H12
三井物産シーガルズ タマモト ジュンイチ 玉本 潤一 H12
三井物産シーガルズ ノグチ サトシ 野口 智 H12
三井物産シーガルズ マツダ ナオアキ 松田 直陽 H12
三井物産シーガルズ イマムラ アツシ 今村 敦 H13
三井物産シーガルズ カトウ ショウタ 加藤 彰太 H9
三井物産シーガルズ ソガベ カズヒコ 曽我部 和彦 H9


WEST
松下電工インパルス オオタマサヒロ 太田 雅宏 H10
松下電工インパルス タカハシ コウイチ 高橋 公一 H10
松下電工インパルス マツダ ムネカド 松田 宗門 H10
松下電工インパルス ヨネザワジュンジ 米澤 順司 H10
松下電工インパルス ツカザキ ヤスノリ 塚崎 泰徳 H11
松下電工インパルス ヤマモト コウジ 山本耕司 H14
松下電工インパルス テラシタ トモヒロ 寺下 友啓 H6
松下電工インパルス ノムラ マサヒロ 野村 昌弘 H6
松下電工インパルス アンドウ カツヤス 安藤 勝康 H8
松下電工インパルス フルモト ツネアキ 古本 実照 H8
アサヒ飲料チャレンジャーズ カナイ タツオ 金井 建男 H10
アサヒ飲料チャレンジャーズ ムクノキ ヒロタカ 椋木 裕貴 H13
アサヒ飲料チャレンジャーズ ウメダ コウジ 梅田 幸志 H8
アサヒ飲料チャレンジャーズ カワグチヒロシ 川口 洋 H8
アサヒ飲料チャレンジャーズ ヤマダ シンゾウ 山田 晋三 H8
イワタニサイドワインダーズ イクシマ シュンペイ 生島 俊平 H13
イワタニサイドワインダーズ ヤマモト タカヒロ 山本 孝博 H5
イワタニサイドワインダーズ コジマ タクシ 児嶋 拓史 H9
ファイニーズ・フットボールクラブ ハマダ ケンジロウ 濱田 健次郎 H5
ファイニーズ・フットボールクラブ コウノ タカシ 河野 貴司 H7
アズワンブラックイーグルス ヨシダ アツシ 吉田 篤史 H14
アズワンブラックイーグルス ヤマガタ サトシ 山縣 哲 H6
アズワンブラックイーグルス コジマ ダイスケ 児島 大介 H7
阪急ブルーインズ コタニ ヤスヒサ 小谷 泰久 H10
阪急ブルーインズ ウエゴウ ハジメ 上郷 肇 H11
阪急ブルーインズ オガタ ユウジ 緒方 裕司 H11
阪急ブルーインズ マブチ ツヨシ 馬渕 剛 H11
阪急ブルーインズ ミヨシ ジン 三善 仁 H11
阪急ブルーインズ イオカ アツシ 井岡 淳 H12
阪急ブルーインズ エバラ トシキ 榎原 俊樹 H12
阪急ブルーインズ キタムラ ヨウヘイ 北村 洋平 H12
阪急ブルーインズ タケモリ ヤスヒロ 竹森 耕大 H12
阪急ブルーインズ タニ ヨウイチロウ 谷 洋一郎 H12
阪急ブルーインズ ニシダ ヨシアキ 西田 芳昭 H12
阪急ブルーインズ フクダ コウゾウ 福田 幸蔵 H13
阪急ブルーインズ タカカゲ ミツヒロ 鷹影 充宏 H7
阪急ブルーインズ タキモト マサユキ 滝本 勝幸 H7
阪急ブルーインズ フクイ タケシ 福井 健司 H7
阪急ブルーインズ フタギ アツシ 二木 淳 H7
阪急ブルーインズ テラカワ ヒロム 寺川 拓 H9
阪急ブルーインズ アリタ タクロウ 有田 拓郎 S61
WESTX−2
富士ゼロックスJ−STARS トミナガ シン 富永 晋 H2
ヒューチャーズ イマイ カズヤ 今井 一也 H10
ヒューチャーズ カタオカ ジュンイチ 片岡 純一 H11
全日空ホークアイ シミズ ダイスケ 清水 大輔 H8
全日空ホークアイ オオキタ ソウシ 大北 壮司 H11
全日空ホークアイ オクダ アキヒロ 奥田 章弘 H11
全日空ホークアイ マツシタ ツネユキ 松下 恒幸 H11
全日空ホークアイ ヤマジ シン タロウ 山路 新太郎 H13
WESTX−3
アサヒプリテックゴールデンファイターズ ミヤタ キワム 宮田 極 H13
アサヒプリテックゴールデンファイターズ タカハシ ヒデシ 高橋 英史 H13
アサヒプリテックゴールデンファイターズ テライ タカオ 寺井 崇雄 H13
アサヒプリテックゴールデンファイターズ フクダ ヒデト 福田 秀人 H13
大阪ガス スカンクス ヨネザワ アツシ 米澤 篤司 H8

2002年09月30日 16:32 (月)  PaperFightOn No.67から
「“山”のつく合宿地を求めて」

 昭和28年の春、米田監督は夏の合宿地の選定について縁起を担いで次の様にしようと決めた。
24年は松山、25年山口でどちらも全国制覇、26年信州別所温泉、27年菅平へ行って全国を取れなかった。

今年は是非“山”のつく所を合宿地に選ぼうと。

幸い作州、津山に多胡さんという陸上の先輩がおられ快く引き受けてくださった。
28年の合宿地はこうして“山”のつく津山に決定、その年は全国制覇を成し遂げた。翌29年も“山”のつく和歌山で引き続き二連覇。
29年次の部員は当時この“山”に乗せられた感があった。
翌年から勝山、福知山と引き続き“山”に合宿地を求めていった時期がしばらく続いたのを思い出す。

 ここに昭和37年6月発行のFIGHT ON No.3に掲載された津山の多胡邦三郎氏の『関学フットボールと私』を再度ご披露させて頂く事にする。
往年の合宿風景が目に見える様ですのでご一読下さい。

 『昭和二十八年夏の或る日、静かな田舎町、作州津山(岡山県津山市)の人々は見たことも聞いたこともない“ケッタイ”な男共の出現に仰天した。
青いカブト、異様に張った肩………。
『何じゃろう』『なにしんさる人じゃろう』。
津山人の注目の中をこの“ノートルダムのセムシ男”たちは奇妙な掛声を町中に響かせながらダッダッと宿舎(大隅神社神楽殿招徳館)から練習場に向かった。
私は何故かこの時“凄さ”を彼らから感じた事を今でもよく覚えている。

 王座をかけた甲子園ボウル、この日に備えた津山の合宿、関学フットボール部の精鋭は文字どうりの物凄い練習に明け暮れた。
当時、私の勤務していた市立中学校の校庭は、彼ら津山到着の日に、見る見るうちに掘り返され、舞い上がる砂ボコリで汗と土にまみれた部員の姿を見失う程であった。
(私はこのグランド荒らしの連中の御陰で校長から文句を言われた)。
この様な猛練習は忽ち田舎町の評判となり、ファンも日毎にふえていった。只一人見物人から憎まれる不幸な男がいた。
それは大男の部員たちを容赦なく、いつまでもいつまでもしぼり続ける色黒の小男で『可哀相に』『もうやめてやりんさい』『むごいことしんさる』と歯をくいしばって頑張る泥だらけの部員を見ながら、見物のオカミサン連中は我が子がいじめられるかのようにハラハラして囁き合ったものだ。

 いかめしいヘルメットと防具に身を固めての猛練習も一度雨となればガラリとその趣がかわる。
雨の日は主としてラグビーが行われたが、このラグビーというのが又大変なシロモノで、裸にサポーターだけというすさまじさ、しかもこの連中のやるラグビーは、私の見た範囲では正規のルールなど問題にしてないらしくアメリカンフットボール特有のブロックも随所に見られるという奇怪千万なものだ。
ファイト満々の若者たちのプレイが白熱化すれば、当然サポーターの如きものはあってもなくても問題ではない。
中には生まれたままの姿でボールをかかえ込む奴、タックルする者、それを後ろから引っ張る奴等………。

 真剣にプレイする連中が前期の如きスタイルであれば、傘の蔭から無言の声援(?)を送る見物人の数が、近所の小母さんたちでふだんより少々増えた事も理解できるものと思う。
このような猛練習は運動部生活を送った事のある私を強く引きつけ、フットボールへの関心を深めさせると共に監督米田との交際の道を開いてくれた。
“米ヤン”とよく一杯呑屋などでチビチビやりながら、もう何十回もこの話はしゃべった筈である。

 太瀬主将を中心としたこの年の部員は、全く素晴らしい連中だった。野武士的豪放さと共に“深さ”を持っていた。
宿舎には連日近所の子供達が押し寄せ、明るい笑い声が満ち、納会にはウクレレにあわせてドンブリのオッパイにユカタの腰巻のフラダンス等々……が押しかけた見物人たちの腹の皮をよじらせたものだ。
市民たちに愛された愉快な連中!後日にこの若武者達が、見事宿望の王座を奪還した時、記事を見た数人の津山市民は、お門違いの私にさえ心からのお祝いを言ってくれたものである。

このような素晴らしい部の合宿がなかったら、おそらく私は一生アメリカンフットボールを知らないで過ごしたであろう。

津山の合宿を終えてかえるとき、フットボ−ル部は、練習場であった中学校に三個のボールを残した。
この奇妙な形の小さなボールがどんなに長い間中学生に大切にされたことか!
以何に多くの中学生が、見様見真似のプレイを楽しんだか、数年後この中学校を訪ねた私は、破れかかったフットボールで数人の子供が(誰におそわったとも知れないが)フットボールの投球を楽しんでいるのを見て、三個のボールの偉力と共に、辺鄙な田舎町にこれを残したKGフットボール部の偉さをひしひしと感じた。』

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Web FightOn 編集局から

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2002年07月18日(木)  京都大学監督、水野弥一様、特別寄稿
特別寄稿

京都大学監督 水野弥一

ライスボウルでの見事な勝利おめでとうございます。
我々大学フットボールの代表として、立派なゲームで
社会人代表の強豪チームを倒されたことに敬意を表す
るとともに学生フットボールの一員として誇りに思う
ところです。
正直なところを申し上げると、相手のアサヒ飲料チー
ムのヘッドコーチは京大の卒業生であり、選手にも何
人も京大OBが居り、どちらにも勝ってほしいと複雑
な思いで観戦いたしました。
昨年の関西学院大学チームは学生史上最強のチームの
ひとつであったと確信しています。
私どもも胸を借りましたが、この数年素材に恵まれな
かった我がチームにとはまさに別世界のチームであり、
勝負以前の問題でした。一方のアサヒ飲料チームは、
一昨年日本一、昨年も並み居る社会人強豪チームを厳
しいゲームの末打ち破ってのライスボウル出場で、下
馬評ではアサヒ飲料有利であったと思います。
しかし、試合の主導権は明らかに関西学院大学チーム
の精神的充実が際立っていました。ディフェンスの集
まりと思い切りの良いタックル、QB尾崎君の果敢な
プレーなどそれを物語るもの枚挙に暇がありません。
しかし、私は関西学院大学勝利の最大の立て役者は
OLであったと思います。河口、山田を擁するアサヒ
飲料の強力ディフェンスにQBに指一本触れさせなか
ったのは脱帽の思いです。学生フットボール史上最高
のユニットであったと思います。もう一つは関西学院
大学の鳥内監督をはじめとするコーチングスタッフで
しょう。あの迷いのない思い切りのよいディフェンス
はコーチの周到なゲームプランの賜物であります。
さらにアサヒ飲料ディフェンスは完全に関西学院オフ
ェンスコーチの手の中に在りました。プラットコーチ
がベンチにあれば展開はかなり違ったものになってい
た可能性はありましたが、失礼を省みずに申し上げれば、
アサヒ飲料の若いディフェンスコーチは敵ではなかっ
た観がします。
すばらしい環境、優れたコーチ陣、そして何より多数
のすばらしい資質に恵まれた選手、これは強力なチー
ムを造るための王道です。そしてそれは単にチームだ
けで出来るものではなく、大学当局の熱意、OBをは
じめとする多くの方々の支援と伝統。今回の勝利はま
さに関西学院大学ならではのものであり、他に真似の
できることではありませんでした。先頭に立たれた鳥
内監督を始めすべての方々に心から敬意を表する次第
です。




注*水野様にウェブサイト転載をご了承いただいた上
でこの記事を掲載いたしました。(編集局)


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