関西学院大学アメリカンフットボール部|創部80周年記念誌
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第3節、関大戦。関大RB藤森のスピードに圧倒される。試合終了直前に逆転のTDパスを許す。第6節、京大戦。残り8秒で逆転のFGを許し、絶対絶命のピンチ。WR萬代のビッグゲインで陣地を挽回し、大西のサヨナラFGで辛くも勝利。2009年11月23日、長居陸上競技場にて。第7節、立命戦。「立命に勝つ」という目標は達成されるも、 その先はないというやるせなさに包まれた。 2009年のファイターズは「一人ひとりが立命に勝って日本一」を目標に掲げた。前年の敗北を受けて、勝つためには戦術もさることながら、個々の実力を高め、個で勝ることが必要であるとの認識から、わざわざ「一人ひとりが」と付けた。そんな中、4月に新たに大村コーチを迎え、練習メニューは、私の知る数年では最も強度の高いものへと変化した。 しかし、春シーズンは総合関関戦であわや敗戦というところまで追いつめられ、明治大には19年ぶりに敗れた。某アメフト専門誌には「どうした関学」と題して特集まで組まれた。「個で負けている」ことと、「チームにまとまりがない」ということは明白であった。 それらの課題を残し、春シーズンは終了し、夏を迎えた。練習の強度は更に高まり、夏合宿では精神的にも鍛えられた。様々な問題は発生していたが、個々の実力もチームとしても一歩一歩階段を上っている実感はあった。 そして、本番の秋を迎えた。1節目の近大、2節目の同志社と勝利を収め、迎えた運命の3節目。我々は関西大学に敗れた。今考えても、油断していたわけではないと思う。あの時できうる限りの準備はした。しかし、敗れた。この原因は、関大戦前の準備不足でも、油断でもなく、チーム始動の時からのチーム作りにあったのだと確信している。結局はチームが一丸となれていなかったのである。その後、4節目に立命までもが関大に敗れ、我々が日本一になれる可能性は限りなくゼロに近づいた。 その後の取組が正解だったのかはわからない。関大戦以降、理想としたチームを作れたのかと問われると、必ずしもYESとは答えられない。しかし、最後の立命戦の時、チームは、そうなるべくしてなったとは思わないが、まぎれもなく一丸となっていたと思う。 チームは一丸となった時、想像を超える力を発揮できる。その力をより高めるためにも、個の力を磨かなければならない。しかし、それ以上に忘れてほしくないのは、「一丸になる」ということである。どうすれば、一丸となれるのかは、現役諸君が苦悩して答えを見つけてほしいと思う。(主務 三井 良太)立命館大学(5-2-0)関西学院大学(6-1-0)神戸大学(1-5-1)京都大学(2-5-0)関西大学(7-0-0)甲南大学(2-4-1)近畿大学(0-7-0)同志社大学(4-3-0)立命館関学大神戸大京都大関西大甲南大近畿大同志社● 7-31○ ○ 27-3● 7-14○ 61-1056-10○ 31-7○ 37-0○ 28-27● 13-17○ 55-21● ● 0-37● 9-14● 0-12△ 10-5623-23● 3-27● 27-28○ 14-9● 13-56● 14-21○ 14-7○ 17-13○ 12-0○ ○ 44-756-1359-10● 10-61● 21-55△ 23-23○ 21-14● 7-4436-22● 7-56● 6-54● 0-43● 3-55● ● 10-5922-36● 3-49● 3-32○ 34-14○ 10-3● 0-46○ 14-1024-14○ 56-7○ 49-3○ 54-6○ 32-3○ 43-0● 14-34○ 55-3● 3-10○ ○ 46-0○ ● 10-14● 14-24○ ■メンバー表部長芝野松次郎主将新谷 太郎監督鳥内 秀晃主務三井 良太102位置QB浅海 克豪AS池添 有二RB池田 利充AS遠藤 陽介AS片山翔太朗WR勝本 祐太TE金本 剛志OL亀井 直樹氏 名氏 名位置TR西澤あづみRB平田 裕貴RB平松  惇DB福井 康仁OL福間  弦OL藤本 翔平LB古下 義久WR萬代  亮高等部コーチ川端 大樹MGR道上 沙織RB河原 聡旨MGR三井 良太DL三村 茂太LB吉川 直佑TR河野  功TR森谷 周一LB安井 亮太AS小寺 悠太MGR蔀  保裕中学部コーチ山根 侑起LBWR柴田 尚彦川 雅浩K/P高野  篤OL依田  祐DL高野 邦裕DB頼本 健太MGR豊田 早穂高等部コーチ和田 裕平OL新谷 太郎■秋季リーグ戦(2位) “As a Team”80th Anniversary 20212009

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