関西学院大学アメリカンフットボール部|創部80周年記念誌
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大村  コロナ禍での2年間で勝てたのは良かったかもしれないけれど、まずい試合も多かった。もうちょっとやれた気がする。有馬  28年間ずっとやってこられた鳥内さんからバトンを受け継いだわけですが、当初はどんなチーム作りを描いていたのでしょうか。大村  毎年そうなんだけれど監督やコーチ陣の中では、すごく伝えて分かっていると思っていることでも、選手は分かっていないことが多い。だから、一からちゃんと話をしてどれくらい分かっているのか、考えているのかをゆっくり話そうと…。そんな中でのコロナ禍のスタートだった。有馬  実際にそれでスタートしてみて、感触はどうでした。大村  鳥内さんが毎年行っていた4年生の面談もそれが大事だろうとやりだした。1人1時間くらい話をするんだけれど、一気に話しても駄目だろうと、鳥内さん同様に初めに紙を出させて、先生みたいに赤入れして、浅いからともう一回出し直させてね。初めに考えさせた上で話をしていくんだけれど、それなりに考えている奴は2割くらいで、あとは考えていない。考えられないというか、深くまで考える習慣がない感じがする。チームのこともフットボールのことも。有馬  4年生の人数が多いですよね。僕らがやっていたころに比べて、辞めていく人数も少なくなったのかなと。人数が多いこと自体はすごくいいことだと思いますが、その分、一つの方向に向かって、みんなでやっていくのは難しいんじゃないかと思っている。そのあたりジレンマはないですか。大村  ゲームに勝つということだけを考えると、向いていない奴はいない方がいいという感覚があって、以前なら1年目でほぼ半分ぐらいが、しんどい、面白くない、出られなさそうで辞めていた。でも最近は放っておくと自分から辞める奴はほとんどいない。昔と違って今は授業最優先だから、4限、5限は全部出る。トレーニングするときは、トレセンに行って、1年生なんて週にまともに練習するのは2回、3回ぐらいで、あとは有馬  それは他の大学に聞いても同じですよ。やはりしんどくて辞める奴がいないと。だからすごくやる気のある奴とちょっとどうかなと言う奴が共存する中で、チームを動かすのはなかなか難しい。関学だけじゃないですよね。大村  それを突破するために、昔は「振り子」や「マラソンブロック」などを練習メニューに取り入れ、強制的に殻を破らせた。今はそれができない。チームでもやらないと決めている。でも、やらないと自分の限界を突破することができなくなる。それで、少し以前の春合宿で、脳にも内蔵にも安全で自分を追い込め、勝負ができるメニューを油谷コーチと相談して作ってやってみた。そうすると以外とみんな頑張るんだよ。そして、やり切ってその合宿を終えると一皮むける。全体的に上手くいくと、チーム力が上がっていく。何か自分の限界ラインみたいなものに触れるような経験をさせると、駄目だろうと思っていた奴でも意外とやれるようになる。そういう機会をどうやって作るかがすごく大事かなと…。それができたら、ある程度は人数がいてもやれそうな気がする。そうした中で、コロナ禍だからね。2年前の監督就任以来、初年度の千刈合宿は何とかできたけど、春合宿からはできていない。その機会がない状態でのチーム作りは大変で、今の4年生も可哀想だし、そういうものを見ない下級生も可哀想だと感じている。有馬  そうですね。コロナ禍の2年間はいろいろな制約があって、実際、練習量やチーム活動の時間も減る中、ここは打破しよう、乗り切ろうと考えられたことはありますか。また、ゲームでは結果を出すことができたわけですが、どんな点が良かったですか。大村  それは多分、なかなか上手くできてなかった気がする。直接会って話せない、Zoomでのミーティングでは、感覚的に半分程度の伝わり方に感じた。フットボールもそれ以外も質を上げようと4年生を通じてやったりしたけど、正直言って上がらなかった。だけどそうも言ってられない。元々うちはチーム作りをするときに、121就任当初に描いたチーム作りと新型コロナウイルスの感染拡大、その現実の感触有馬  先ずは、監督就任からコロナ禍での2シーズン甲子チョロっとやる程度。だから、先ずしんどくないし、そんなに深く考えていないから居心地が悪くならない。園ボウル2連覇を達成されました。現在の心境はいかがでしょうか。それが学年を経てずっと増えていくから、結構意識レベルの差が激しい。

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