関西学院大学アメリカンフットボール部|創部80周年記念誌
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躍進Chapter-2第4回甲子園ボウルに初出場し慶応大に快勝し初の全国制覇を遂げる(1949年12月18日)「階段を忘れるな」の合言葉(機関誌『Fight on』創刊号より)第4回甲子園ボウル優勝盾井床監督(昭和24年-31年)136栄光の第一期黄金時代の幕開け 1949(昭和24)年主将となった渡辺年夫は、練習の前後に学院裏手の急階段で昇降トレーニングを行うなど、全部員で猛練習に取り組んだ。その主将を支えたのは、後に監督となる剛の人、鳥内昭人である。その竹を割ったような人間味はつねにチームの和の中心であった。四国・松山で炎暑の中で行った厳しい夏合宿。秋には戦後初となる日米対抗戦で福岡米軍と平和台で対戦し、体力差をものともせず果敢に戦った。リーグ戦では関西大を一蹴し念願の初優勝を果たす。その勢いのままに第4回甲子園ボウルに初出場し、関東の雄である慶応大に勝利し、初めて感激の全国制覇を成し遂げたのであった。 この年から1956年までの8年間で全国制覇6回(うち1回は引き分け)という関学フットボールの黄金時代を迎える。終戦後の復活から、わずか4シーズン目にして始まった快進撃であった。その要因はどこにあったのだろう。 1947年の松本主将が作り上げた厳しい練習の中にも家族主義的な関学独自のチームカラー。橘高マネージャーの尽力による優秀な素材の確保。渡辺主将による猛練習の合言葉となった「階段を忘れるな!」。1949年に作られた中学部教師ポーター先生の兄上夫妻の作詞作曲による、部歌「Fight on Kwansei」。1950年の米田満主将が関学フットボールは「みんな仲間だぞ」という一体感への思いを体現した、チームエール「関学フットボール・フレー・フレー・フレー」。これらの先人たちによって培われた、「チームワーク」「素材」「猛練習」この3つの要素が第一期黄金時代を築き上げたと言えよう。これらはその後の関学フットボールスピリットとなり、80年にわたる歳月を重ねた現在のファイターズにも綿々と受け継がれている。 さらに、1949年からは中学部、高等部のチームが活動を開始する。10年間の一貫体制が確立され、大学との結びつきも強化し、今に至るファイターズファミリーとして進展していったのもこの頃であった。 一方、フットボールの戦術・戦略面での進歩も大きく、フォーメーションも創部以来のシングルウイングバックで1949、50年に甲子園ボウル2連覇を果たした後、Tフォーメーションへの転換を図った。守備体型も伝統の7ー1から脱し、多彩な隊形を取り入れるようになったのである。

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