雄飛Chapter-4日本大を破り史上初の甲子園ボウル5連覇を達成(1977年12月11日)アメリカンフットボール全国高校選手権が始まり高等部が優勝、大・高・中が揃って全国制覇を達成(1970年)リーグ戦で初のプレイオフとなった京都大戦に勝利(1976年11月21日)(昭和41年-53年)146史上初の甲子園ボウル5連覇と京都大の台頭 1970(昭和45)年、監督に熱血漢芳村昌悦が就任。三重野大輔主将のもと関西8大学となったリーグ戦を難なく乗り切った。甲子園ボウルは関東選手権を制した日本大。試合は関学のスピードと技が上回り34ー6で快勝した。 1971年、武田は本業の研究と充電のため、チームは滝コーチに委ねられた。竹田邦夫主将を軸に4年生を中心として戦力強化を図った。しかし、日本大との甲子園ボウルでは二転三転のゲームの末、試合を決めるTDパスを許して涙をのんだ。 1972年、武田が監督として復帰。伊角富三主将を支える上級生は少なかったが、1、2年生に逸材が揃っていた。甲子園ボウルは初出場の法政大。豪快なパワーと走力に及ばず勝利には至らなかった。この年、ユタ州立大のチャック・ミルズ監督のもとへ、後のヘッドコーチとなる広瀬慶次郎がコーチ修行に旅立つ。米国留学制度の第一歩だった。 1973年は多彩な攻撃陣に加えて、「四天王」と称され攻守に活躍したラインを擁し、圧倒的な力でリーグ戦を勝ち進み、甲子園ボウルは日本大に快勝した。 この頃、水野弥一監督率いる京都大が急速に力を伸ばし、関学を脅かす存在となっていた。1974年のリーグ戦は、全勝対決となり24ー0で快勝。日本大を迎えた甲子園ボウルは、前半リードされたが、後半に地力を発揮し連覇を果たした。 1975年には京都大の迫り来る足音が聞こえていた。全勝同士で迎えたリーグ戦決勝は、大接戦の末、4Qに逆転の勝利。甲子園ボウルでは明治大を圧倒し3連覇を遂げた。 翌1976年、ついにリーグ戦で京都大学に21ー0で敗退。連勝記録は145でストップした。だが、京都大も1敗で同率優勝。初のプレイオフでは、伊藤文治郎主将以下が火の玉となって戦い、13ー0と雪辱を果たした。2年連続の明治大との対戦は、テンポの速いプレーにてこずったが、後半に3連続TDを奪い勝利した。 1977年、武田監督から伊角ヘッドコーチにバトンが渡った。春は京都大、慶応大に完敗。厳しい夏合宿を経て、リーグ戦での京都大との全勝対決は29ー21で逆転勝利。歴史に残る名勝負「涙の日生球場」である。その勢いで乗り込んだ甲子園ボウルは、日本大に圧勝し史上初の甲子園ボウル5連覇を達成した。 続く1978年、秋のリーグ戦では京都大との激烈な対決に勝ち、リーグ30連覇という快挙を遂げる。しかし、甲子園ボウルでは日本大のショットガンに大敗。やがて訪れる厳しい時代を予見させるものがあった。
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