関西学院大学アメリカンフットボール部|創部80周年記念誌
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――前泊はいつから始めたのか 「それも、3年負けてからやな。昔は全員がバス2台に分乗して試合に行っててん。だんだん部員が増えてきて、それができひんから辞めてん。俺がアメリカから帰ってきて、試合の臨み方も何か変えないとあかんと思ってて。アメリカはホームゲームの前はホテルに泊まって、白バイが先導してくれて試合に行くねん。それで、関学も4年だけそれをしようかなって。『警察に来てほしい』って言うても来てくれなかったけどな」――アメリカでも選手同士が話をしていたのか 「アメリカは前の晩はコーチが、明日の試合のプランを話して終わりやねん。そうやなくて、俺は不安を共有してほしかったんや。過去、甲子園で日大とやる時にも、京大が圧倒的有利って言われていた時にも、どの先輩も同じ思いやねん。みんな不安に思うのは当たり前やねん。そこで、強がってほしくないねん。思ってること、本当のことを言うてくれって。それだけやで。俺に向いて喋るな。その時の仲間にほんまの自分の思いをさらけ出せ、と。本音を言い合って『お前もか、お前もか』でええねん」――なぜ続けてきたのか。効果はあったのか 「人間ってな、ちょっとしたことで変わりよんねん。それが分かってん。関学でやっていたら、どこかで歴史を背負うやん。だから好きなフットボールが苦痛になるねん、好きでやってるはずやのに。4年生の責任を求められるからな。自分だけが追い詰められてるんちゃうねん。みんな同じやねん。それを、みんなが乗り越えてきてん。過去の大先輩もな。その経験がすごいねん。財産やねん。緊張、孤独、色んなことが前の晩から起こってるねん。でも、4年はそこから逃げられへんねん。 あとな、親との約束も大事やねん。俺(監督)との約束、4年生同士の約束だけじゃなくて、親との約束は破られへんやん。前日ホテルに集合する前、家出る時に自分の部屋もきれいに片づけて、親に『4年間好きなフットボールをさせてくれてありがとう。やるから見といてな』と伝えて出てこい、と。自分はもっとミスできひんくなるねん。親の前でどんなプレーすんねんって整理できてくんねん。そこでビビったプレーするのか、見とけよっていうプレーになるかは親の力って大きいねん。身内の力な。感謝の気持ちやな。昔は同年代で戦争にいって国のために亡くなった人おったやろ。今は自由があって、好きなフットボールできてるのは誰のおかげやねん。そういうことを学生に言うたら考えるやろ。恵まれてることも分かるねん。こんな経験、なかなかできひんやん」――監督は28年間ずっと勝負の日が来る 「いや、しんどいで、ほんま。分からんやろ? ほんまにしんどいねん。最後は監督の責任でええねんけど、負けたら4年生に申し訳ないねん。試合会場に行ってバスを降りて、その場で4年生を集めるねん。その時に4年生に向かって1、2分話をすんねんけど、『厳しいゲームになるの分かってるけど、4年が下向いたら終わりやし、あきらめても終わりや。絶対にそういう態度はするな』って話してたら俺も涙が出そうになる。そしたら、あいつらも目がうるんでる学生もおるわ。いい意味で『もう、ええわ』って怖いものがなくなる15人間が変わる時 就職活動の圧迫面接よりも厳しいと言われた個人面談。「そんなんで、ほんまにできんの」「お前の真剣はそんなもんか」など、当時を思い出したくないOBもいる。監督との約束。チームが日本一になるために、自分は何ができるのかを突き詰める。そうやって、チームの結束力を高めてきた。 個人面談を始めた同時期に、もう一つ始めたことがある。それが、勝負のかかったゲームの前夜に4年生と監督だけで前泊をしてミーティングをすることだ。目の前に迫った大一番を前に4年生が本音で語り合う場。ここにも鳥内なりの狙いがあった。

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