山田 本日はよろしくお願いします。さて、ファイターズは2021年に創部80周年を迎えました。古川先輩は1948年に入部されたということですので、70年以上にわたって関西学院大学のアメリカンフットボール部を見続けてこられたということになります。80周年を迎えたファイターズについて、率直なご感想をお願いします。古川 みんな頑張っていただいている。ただただ感謝ですね。1,800人を超えるOBやOGが、とにかく品位のある、品格のあるチームを作ってくれています。もちろん、強いのは有難いことですけれど、やはり品位というものがチームには絶対必要です。それがあるのが嬉しいですね。山田 ありがとうございます。創部した1941年に第二次世界大戦が始まり、1945年に終わりましたので、古川先輩は入部され頃は、終戦から3年後のまだまだ混乱が続いた時代だったと思うのですが、練習の環境など、部はどのような雰囲気だったのでしょうか。古川 私は旧制池田中学を5年で卒業し、1948年に新制関西学院高等部の3年生に編入学してアメリカンフットボール部へ入部したので、高等部の1年間は第1期生ということになります。私が入部した初日は、正門を入るときれいな芝生があって、そこで練習が始まりました。初めはこの学校は芝生で練習するんだと思ったのですが、実は自前のグラウンドなどなく、野球部の外野の雑草が生えてる所とか、学校内を転々として練習してましたね、本当にドサ回りでしたよ。初日は新入部員5人と5、6人の先輩部員で、それがその日の部員のすべてでした。部員数は25、6人登録されていましたが、毎日練習に来るのは5、6人で、あとの人は家の仕事とか、食べるのに必死だった時代でしたから。日本全体が戦後の混乱期で、その中でフットボールをやれたのは、今となれば感謝以外にないです。 その頃の部の雰囲気を一言で言うなら、非常にあたたかいチームだったと思います。先輩方が、我々、新入生に対して、自然に優しかったですね。いわゆる体育会系の悪いところ、殴るとか、荷物持ちをさせるとか、直立させて説教するとか、そういったことが一切無く、5年間、先輩の怒鳴り声を聞いたことはありませんでした。そういった雰囲気が、結局は今までこられた大きな要因だったと思いますね。山田 当時の松本庄逸主将の言葉で「みんな仲間やないか」というのがあったのですが、まさにそんな感じだったのですね。古川 そうですね。昼休みにみんなが部室に集まって来て冗談を言い合って、また午後の授業に出ていく。米田満先輩が、そういう雰囲気を作っておられましたね。チームが強いとかになる一歩手前の時期でしたが、いい雰囲気でしたね。山田 確かに、強いとか弱いとかはどうしてもあるとは思うのですが、当時からそういう雰囲気だったのですね。古川先輩が入部された当時で、印象に残った出来事や忘れられない人などは。古川 忘れられない人と言えば、まず第一に橘高紀雄さんですね。私より学年は2年か3年上だったのですが、当時はみなさん、兵隊さんへ行ってましたので、歳は大分上だったと思います。私は旧制池田中学の5年153
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