力強さを感じられるデザインをと依頼をし、真鍋氏からの提案をもとに試行錯誤を繰り返した。 伊角から真鍋氏への依頼は、あくまで新しいユニフォームのデザインであった。ところが、楕円にKGのデキャルは、球面のヘルメットに貼るとどうしてもシワができてしまうという難点があることを知った真鍋氏が、ユニフォームに加えて新しいデキャルのデザインも提案したのである。独特に型取られた「KG」に、相手を突き刺す角のようにヘルメットの両面にあしらわれたクレセントムーン。斬新すぎるそのデザインはヘルメットにもフィットし、すぐさま採用された。 1991年秋、関西学生リーグの開幕戦。舞台は阪急西宮スタジアム。この試合で新しいデキャルとユニフォームをお披露目することになっていた。インパクトを重視した伊角は、試合前の練習ではこれまでのユニフォームを着用するよう選手たちに指示し、練習終了後に一旦全員をロッカールームに集めて新しいユニフォームを配付し、着替えさせたのである。真新しいユニフォームに身を包んだ選手が、1塁側ダグアウトから勢いよくフィールドに姿を現した瞬間、スタンドからはどよめきと歓声が沸き上がった。伊角の狙いどおり、大きなインパクトを与えることに成功した。 試合は同志社大に1点差で敗れ、リーグ戦では初の黒星発進となった。「今年もか」と昨年の記憶が脳裏をよぎったが、その後は僅差の試合をものにし、1敗で並んだ京都大学と同率優勝を果たした。1週間後に行われたプレーオフでも京都大学に7点差で勝利、甲子園ボウルでは初顔合わせとなった専修大に勝利し、悪夢のリーグ6位から1年で再起を果たし、6年ぶりに大学日本一の栄冠をつかみ取ったのである。 1990年、当時3年生でエースQBであった東村は4年生に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったという。春の日本大学との定期戦で左膝の靱帯断裂という大怪我を負った東村は、秋リーグ戦出場は叶わず、2年生の大矢にラン&シュートを託すしかなかった。自分のせいで負けた。4年生を勝たせられなかったという自責の念に駆られた。そして迎えたラストシーズン。チームはスローガンに掲げた“Reborn”という言葉のとおり生まれ変わったのである。 シーズン開幕を控えたある日、学生会館の会議室に部員全員が集められ、新しいユニフォームとデキャルについて伊角監督から説明があった。開幕戦からこの新しいユニフォームで臨む、と。これまでのシンプルなユニフォームとのあまりのギャップに、違和感を覚えたものは少なくなかった。ただ、一方で、この大きな変化に「自分たちが新しいチームを作るんだ」という強い意志が込み上げてきたのも確かである。 ファイターズには歴史と伝統があるが、それで勝てるわけではない。常に新しいものを追い求め、新たな歴史を作る覚悟が必要である。東村はそう語った。39思いがけぬ提案背水の陣、京大との二度にわたる死闘Reborn-KG
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