小野 宏(1984年卒) 1月17日午前5時46分。淡路島から阪神間にかけて広い範囲を襲った阪神・淡路大震災は、ファイターズにも大きな試練を与えた。前年3位となった無念さを胸に、山田晋三主将のもと新体制で動き始めたばかりの時期だった。 西宮市大畑町に下宿していたDLの稲川(4年)は、戸外に出て愕然とした。二階建てだった隣家が座り込むようにして潰れている。周囲の街並みが一変していた。すぐ前を走る国道171号線を挟んで向かい側の家屋から煙が立ち始めていた。走り寄って、荷物の運び出しを手伝った。 間もなく、若い男性から「にいちゃん、こっちに人が埋まっているから出すのを手伝ってくれ」と声をかけられた。下宿の斜め向かいの家だった。183センチ、90キロの鍛えた身体だったが、倒れた梁(はり)は簡単に持ち上がらない。誰かが持ち寄ったジャッキを使って、昼過ぎまでに5人家族のうち3人を助け出せたが、2人はどうしても引き出せなかった。やりきれない思いが体に充満した。 上ヶ原七番町の下宿にいたTE河瀬(4年)は、用を足したくなって目を覚ました直後に地震に遭った。天井が落ちて引き戸が開かなくなり、187センチの長身を折り曲げて窓から戸外に出た。隣の下宿で知人が死んだ。何が何だか分からぬまま、近所の倒壊した家屋から20人ほどを引き出した。 フレッシュマンコーチの長尾(4年)は、チームのビデオ分析の拠点となっている「ファイターズホール」の無事を確かめに行った。ホールは損傷していなかったが、そのオーナーでOBの岡田さん宅がつぶれているのを知り、隣人たちと岡田さんの家族を助け出した。若山町のアパートに住むDB岸田(4年)は兄とともに友人の安否を確認するため、車に飛び乗った。家の前を走る171号線に入って西に向かおうと門戸高架橋を上りかけて思わず急ブレーキをかけた。トラックが横になって道路を塞いでいたからだ。運転手が何かをわめきながら近寄ってきた。運転席から出て初めて高架の頂上部が崩落していることに気が付いた。足が震えた。後ろから次々に上ってくる車を制止して理由を話している間に、今度は171号線と県道中津浜線の大きな交差点で車が群がるように詰まりだしていた。停電で信号が止まったためだった。交差点の交通整理に取り掛かった。そのうちに南側から学校に向かってきたトレーナー長野(4年)やRB正井(4年)も手伝って夕方まで間断なく交通整理を続けた。最後はどの方向の車も動かなくなった。42ファイターズ阪神・淡路大震災ドキュメント地震直後の混乱と苦悩3
元のページ ../index.html#42