ティアの人たちと合わせ、10人の男が次から次へと教室を回っていった。学校前の道路が陥没していたため、通行止めの看板を設置。食料を中心とした物資の仕分けもした。断水しているため、グラウンドの隅になるプールから校舎のトイレまで、避難住民と一緒にプールの水をバケツリレー。折からの雨で、全員ずぶぬれになりながらの作業となった。 午後になると小学校と関係の深い近隣の教会へ。雨漏りを防ぐために屋根にシートをかけることになった。しかし、雨に濡れた瓦は思った以上に滑った。先に屋根に上った岸田は、恐怖感に悲鳴の連続。下で見ていたシスターも「大丈夫ですか」とオロオロするばかり。主将という立場から自分の身の安全を第一と考えた山田だが、隣の施設も同様の処置をすることになり、観念して恐怖のシート掛けに挑戦した。 戻ってくると、最後は体育館のステージ裏の整理。机や椅子が数百の単位で散乱している。これを片付けて、裏口までの非常口を作った。1時間以上かかる力仕事だった。気が付くと午後9時近くになっていた。夕食を取ろうとしたとき、教頭先生が「みんなの前で紹介したい」と言い出した。体育館に連れていかれ、「関学アメリカンのファイターズの皆さんが来てくれて、朝から今まで力仕事をしてくれました」と紹介された。一斉に大きな拍手が沸き起こった。「ありがとう。今年はがんばりや」の声に山田は答えた。「必ず勝ちますので、応援よろしくお願いします」 食事をして帰ろうとすると、校舎の二階のボランティア控室から正門までの数百メートルに、避難している人たちが「花道」を作ってくれた。ボウルゲームのセレモニーのように、そこを通った。拍手と握手。少し照れ臭かったが、泣いているオバサンの顔が目に入って、ビッグゲームと変わらぬ熱い思いが込み上げてきた。 新しい世界での新しい経験。朝から緊張が続いていた。バスに乗ると動き始めてすぐに車内を沈黙が覆った。山田も、熟睡する仲間を笑いながら、すぐに意識が遠のいた。長い避難所での一日目は、感激と充実感と疲労が入り混じって終わろうとしていた。 その後も部員全員がボランティアを続けた。崩れかけた家に入っていっての薪(たきぎ)拾い。トイレの掃除(大便の始末)、避難所生活でストレスのたまった子供たちの遊び相手。夜警。 救援活動を続けていた河瀬は、当日の夜に避難所を回ったがどこも満杯で、宝塚市役所の中に住み込むことになった。それから1か月間、市のボランティア本部で中心的な役割を担った。44避難住民による“花道”各地での支援活動継続
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