関西学院大学アメリカンフットボール部|創部80周年記念誌
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野原 亮一(2007年卒) 日本国内の大学フットボールチームで、ファイターズほど国際試合や国際交流を経験したチームはないのではないだろうか。 ファイターズの国際交流の始まりは、1949年(昭和24年)のアメリカ軍キャノニールスとの試合まで遡る。その後1986年にアメリカ・南オレゴンで夏合宿を実施し、その最終日に南オレゴン州立大学と対戦。この試合がアメリカ大陸での日本のフットボール単独チームとしては初めての試合となり、それは今も変わらない。翌87年には南オレゴン州立大学が来日、この時の試合では日本の単独チームとしては初めてアメリカのチームに勝利した。関西学院創立100周年という節目の1990年には、アメリカ沿岸警備隊士官学校が来日し、対戦している。なお、ファイターズの国際交流を支えてくださっていたのが、故チャック・ミルズ氏である。ファイターズが今日、本場アメリカの戦術やスキルを学べているのも、ミルズ氏の存在抜きで語ることはできない。改めてミルズ氏のご厚意、ご尽力に感謝するとともに、哀悼の意を表したい。 その後、ファイターズが本場アメリカの大学と交流試合を行ったのが、2001年3月24日に行われたアイビーリーグの名門プリンストン大学TIGERSとの一戦である。関西学院創立111周年、ファイターズ総部60周年の記念試合として大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)で開催された。プリンストン大学は、世界の大学ランキングで常に上位に位置している大学であり、またフットボールにおいてもアメリカ史上初めて現在の競技の原型となるゲームを1869年にラトガース大学と行ったルーツ校でもある。 大学はじめ、多くの企業のご支援もあって盛大に開催されたが、招聘直前にヘッドコーチが解任され計画断念もよぎる中、手を差し伸べてくださったのがミルズ氏であった。ミルズ氏がプリンストン大学体育局長へ事情を説明してくださり、予定通りの開催にこぎつけた。 3月18日に来日、練習の他、京都や奈良などを部員が案内、交流を深めた。また国内のフットボールの普及を目的に、恩人でもあるミルズ氏やケント・ベア氏(当時スタンフォード大学DC)、プリンストン大学ロジャー・ヒューズHC(当時)によるコーチングクリニックを開催。チームの作り方、パス攻撃のコンセプトなど、本場アメリカのコーチの生の話が聞ける当時としては大変貴重な機会となった。 試合は、ファイターズが4TDを奪うも、TIGERSの猛追に遭い、試合終了直前に逆転FGを許し25対27で惜敗した。 それから14年後、関西学院創立125周年を記念しプリンストン大学を再び招聘し、「LEGACY BOWL」が2015年346はじめにプリンストン大学の来日プリンストン大学2度目の来日ファイターズと国際交流4

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