関西学院大学アメリカンフットボール部|創部80周年記念誌
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小野 宏(1984年卒) 2003年8月16日、兵庫県北部の東鉢伏高原で行っていた夏季合宿の最終日、4年生のLB平郡雷太君が最後のメニューの直後に倒れ、間もなく心停止して回復しないまま亡くなるという事故が発生した。 平郡君が 搬送された八鹿病院で、頭部・頸部のCT撮影、胸部のレントゲン撮影、血液検査などを行ったが、異常は見当たらず、担当医師から「急性心不全で、明らかな死因は確定できない」との診断を受けた。部において、プレーに関連する部員の死亡事故は1941年の創部以来、初めてのことだった。 平郡君は、大阪府立池田高校から関西学院大学社会学部に進学し、1年生からDBとして先発メンバーに名を連ねた。2年生時にはLBに転向し、ライスボウル・日本選手権で社会人王者を破り、チームにとって初めての日本一に貢献した。最上級生となったこの年、守備のリーダーとしてチームをとりまとめ、再び日本一の王座に輝くことを目指して合宿の最後の練習を終えた瞬間だった。 同17日には御通夜が、18日には告別式が、いずれも大阪府箕面市のコミュニティセンターで営まれ、延べ4千人を超す方々が弔問・参列された。 ご子息の突然の死に直面したご両親に、部の指導者としていくらお詫びをしても取返しがつかなかった。部としてできることは、ご遺族に誠実であることだけだった。平松部長、伊角ディレクターらと話し合い、事故に関するさまざまな状況を調べなおし、起きたことを包み隠さず、客観的かつ正確に記録した事故報告書を作ることにした。 チームドクター、チームトレーナー、後援会(保護者)代表、アシスタントディレクター、部員代表として主将、コーチ(事故当日はいなかった私)で「事故報告書作成委員会」 を編成し、8月28日に「平郡雷太君に関する事故報告書」を完成させ、ご遺族にお渡しした。また、ご遺族の了解を得て、同報告書を関西学院大学、同体育会、関西学生アメ リカンフットボール連盟、OB会、後援会などに提出し、報道機関にも公表した。 報告書には、(1)事故発生の状況、(2)事故後48夏合宿最終日に発生事実を包み隠さずに事故報告書を作成平郡雷太君の事故について5

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