関西学院大学アメリカンフットボール部|創部80周年記念誌
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91年秋シーズン、私は伊角監督(当時)に声をかけていただき、トレーナーと言う立場でチームに戻った。ファイターズは「学生主体のチーム」であるためグランドにおいては今まで通り学生トレーナーにその役割を担っていただき、私の当初の役割は学生トレーナーへのアドバイスと相談役になることであり、医療体制やトレーニング環境を整えることであった。当時は例年、多くの怪我人がおり4年生の中には満身創痍で戦っている選手もいた。当時の年間外傷数は600件を超えていたと記憶する。 当時、チームとして提携している医療機関はなかった。そこで、まずは西宮近隣で提携して対応していただける医療機関およびスポーツドクターを探し、明和病院の吉矢晋一医師(現チームドクター、前兵庫医大整形外科主任教授)にお願いすることにした。新入生は全員、明和病院にて整形外科メディカルチェックと、西宮協立脳神経外科病院にて脳検診を受けるとともに、全選手が毎年、保健館にて内科検診を受け、フットボールを行う上で身体の問題がないか確認していただいた。 95年、OBの松田氏がチームドクターとしてサポートしていただけるようになり、脳振盪を担当していただいた。ファイターズでは83年から92年までの10年間に4件の重篤な硬膜下血腫が発生(いずれも開頭手術実施)していた。幸い死亡事故こそなかったが、重傷頭部外傷を起こさない環境を確立するために、比較して発生頻度の高い脳振盪を減らす取り組みが始まった。ヘルメットは軽量化するため重量による選定、ヒットの適正な基礎技術の習得、頸部周囲のトレーニング強化などである。 しかし、2003年夏合宿最終日、主力選手だった4年生・平郡雷太選手が心不全で亡くなる事故が起きた。選手の体調管理は学生チームとしてはしっかりと行っているつもりだったが、今振り返ると「我々はこれだけやっているから大丈夫」と言う過信があったと言わざるを得ない。安全に対してはどれだけやっても「絶対」はないことを改めて認識した。そして、選手の生命を守ることがメディカルチームとして最大の最重要指標(KPI)によるモニタリング西岡 宗徳(1987年卒)使命であると強く再認識した。 この事故以降、ファイターズは「安全に、強く」というスローガンを掲げ、選手の生命の安全を最優先することを改めて誓った。ただし、ファイターズは安全でも弱いのでは意味がない。安全であることを最優先しながら強くあることとの両立をめざした。 例えば、脳振盪への取り組みでは、脳振盪の疑いのある場合はプレーを中止させ、簡易テストを実施後、脳神経外科の診察を受け、すべて報告書に記載し、脳の認知機能が完全に回復しているかをオンライン検証ツール「CogSports」で確認する(2022年からは「Impact」を使用)などして、練習に復帰するまでのプロトコル(手順)を厳格に管理してきた。メディカルスタッフとともに、日本協会医事委員会の脳神経外科医とも連携し、議論を重ねながら受傷データを蓄積し、毎年3月には大学および高等部の部員全員、指導者を対象に「安全対策講習会」を小野ディレクター中心に実施している。2005年度から2021年度までの17年間で510件の脳震盪が発生しているが、最重要指標である「1回の練習・試合での選50医療体制の整備から着手事故の反省――「安全に、強く」のスローガン脳振盪の徹底的な管理安全を追求した30年の取り組み6

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