「アメリカンフットボールの発展なくしてファイターズの発展なし」。ファイターズは創部以来さまざまな形でフットボールの発展そのものに貢献してきた。この30年間においても他チームに先駆けて新しい取り組みを行っている。ここでは特に普及活動や地域貢献活動に焦点を当てて紹介する。 1996年3月に兵庫県と大阪府の高校生を対象とした「Fighters Football Clinic」を初めて開催した。当時のチームは前年まで2年連続で京大、立命館に敗れており、両校との力の差を何とか克服しようと模索する中で、いくつかの新しい取り組みが行われた。クリニックの開催は当時の4年生マネージャーの発案で企画され、コーチ陣の協力のもとに開催にこぎつけた。上ケ原のキャンパスに招待してのクリニックは初めての試みであったが、予想を大幅に超える16校から約400名が参加。当時の大学の練習場と高等部の練習場のおよそフィールド2面を使って行われ、ファイターズが培ってきたファンダメンタル(基礎技術)を広く教えることを内容の中心に置いた。同年8月発刊のイヤーブックでコーチの小野宏はこのクリニックを振り返って以下のように述べている。 「我々は日本一を目指す集団であるとともに、フットボール界へ貢献することを忘れてはならない。」「トップレベルのスポーツマンは、一方で自分自身が勝つことに集中しなければならないが、同時に自分が得たものを通して誰かの役に立つ経験をすることが、選手にとってもチームにとっても人格形成の上で大切なこと。」「オープンな精神を大切にしていくことが、長い目で見てチームにとってプラスになる。」 翌97年以降もクリニックは毎年開催され、当初のコーチ陣が中心となって選手たちが補佐する形から、選手たちが中心となって指導してコーチ陣がサポートするスタイルに変わっていった。近年は午前中に戦術解説やトレーニングなどのセッションの部も設けた。 2000年代に入ってからは、小中学生のフットボールチームを対象にした「ファイターズフットボール教室」を開催した。毎年300-400人が集まるイベントとして定着し、2012年までは王子スタジアムで、20013年からは第3フィールドで開催している。 ファイターズの選手・スタッフとキャッチボールやフットボールゲームに嬉々として興じている子供たち。その光景は、子供たちと一緒になって楽しそうに走り回る大学生、とも表現できる。2007年8月発行のOB会報「Fight On」でアシスタントディレクターの宮本敬士は「毎年思うのは、『我々は我々で、子供達からフットボールを始めたころの楽しくてしょうがなかった気持ちを思い出させてもらっている』」「指導にあたる大学生を見ていると、(略)ファイターズでフットボールをしていることの意味、ファイターズのミッションについても自覚が芽生える」と記している。 2000年代にはフラッグフットボールが少しずつ小・中学校の教育現場で取り入れ始めていた。フラッグフットボールは、鬼ごっこの延長的な要素もあって特定の技術の必要性が少なく、運動の得意不得意に左右されずに気軽に取り組める。また、作戦→実行→反省→改善(PDCA)をスポーツで体感できる、思考と行動の一体化を経験できるスポーツとして、その教育効果が注目されている。2002年には体育の準教科書に掲載され、2011年度施行の「学習指導要領」の解説書に掲載、2020年度からは本編にも掲載されている。ファイターズにおいても2000年代前半には依頼に基づいて神戸市や宝塚市などの小中学校での活動に参加していた。 2006年2月にはチーム自ら西宮市教育委員会を訪れ、小学校での授業現場でのお手伝いを申し出たところ、数校から手を挙げていただいて授業のお手伝いや教員対象のデモンストレーションを実施し、教員対象の研修会の会場として第3フィールドを提供して実演の協力などを行った。そして2007年からは市内3校において本格的に出前授業を始動。毎年2月に各学校の4、52フットボールクリニックとフラッグフットボール出前授業普及活動・地域貢献活動の展開石割 淳(1998年卒)7
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