ファイターズはこの30年間、変化し続けてきた。戦術、技術、体格など表の見える部分だけでなく、チームを裏から支える学生スタッフのあり方も大きく変容した。その一つが、女子スタッフと分析スタッフの誕生と充実である。 女子スタッフの登用は2002年。前年の秋、1年生の新多真奈美が同級生の部員を伝手に、鳥内監督、石田主将に入部を直訴したことに端を発す。 部内で検討された結果、サポートスタッフとして女子を受け入れることが決まったのだった。その年のイヤーブックには、FIGHTERS NEWSのコーナーで、「サポートスタッフ誕生」が取り上げられている。記事にはこうある。 「今春、ファイターズに一大革命が勃発した。創部以来、かたくなに守り続けてきた女人禁制の伝統を破り、初の女子スタッフが仲間入りを果たしたのだ。以前から男子スタッフの減少によりチームの運営が苦しくなりつつある現状を打破するため、女子スタッフ募集が決定した。現在のところは正式部員ではなく『サポートスタッフ』としてマネージャー、トレーナーの仕事を手伝っている。…サポートスタッフは1年生に限らず随時募集中。興味がある方は部室まで。」 第1期メンバーとして3年宮崎、2年新多、1年田渕、岡本、山畑、入江、山田の7名の写真とともに取り上げられている。振り返って、よくこんな文章を掲載したなと思う。いまならジェンダーへの認識不足として確実に“炎上”する小野 宏(1984年卒)内容である。 翌2003年には正式に部員として活動することが認められ、サポートスタッフの中から3年生の新多真奈美がマネージャーに、2年生の山畑恵子がトレーナーに転向した。同時にサポートスタッフとしても19名の女子(と2名の男子)が活動した(サポートスタッフ制度は2007年に廃止)。 女子スタッフが誕生した初期には、今からは考えられないような出来事もあった。 夏合宿で、サポートスタッフの女子メンバーが長袖のシャツに長いジャージを履いて活動していた。日焼けを気にしているのかと思ったら、「〇〇〇さん(男子マネージャー)から肌を露出しないように注意されたから」だという。その男子マネージャーに意図を確認したところ、「みんな禁欲生活をしているので」と真面目な顔で説明したのだった。 初期の女子スタッフメンバーは、こうした発言・偏見に怒りと悔しさを抱えていた。「なぜそんなことを言われなければならないのか?」と泣きながら私(宮本)に訴えてきた者も少なくなかった。 そして、時代が平成から令和へと変わった2019年。橋本58女子スタッフと分析スタッフの誕生宮本 敬士(1994年卒)10
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