関西学院大学アメリカンフットボール部|創部80周年記念誌
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典子が女子として初めて主務に就いた。「関学に初の女性主務」と、マスコミに取り上げられることも多々あった。しかし、それはすでにチームにおいて特別なことではなかった。誰がチームの主務に適任かを考えたら、それが橋本だっただけ、という認識をチーム全体で共有していたのだ。 分析スタッフ(アナライジング・スタッフ)の誕生も大きな変革だった。 従来、対戦相手を分析するための基礎データ作りは4年生、負傷者、フレッシュマンコーチらが担っていた。しかし、選手が分析の作業を担当していては、練習やトレーニングが後回しになる。 この点で立命館は先行してアナライジング・スタッフのグループを編成していた。我々も2004年、こうした役割を専業で担う者が必要であることを選手に説き、メンバーを募った。 この頃、私(小野)はオフェンスコーディネーターだったが、立命が米国から導入したディフェンスのシステムが解明できず、敗戦が続いていた。分析の飛躍的なレベル向上が必要だった。 きれいごとではなく、悩みぬいた末にプレーヤーとしての夢をあきらめ、名乗り出た選手たちが防具を脱いでパソコンとモニターに向かい合う生活を始めた。RBだった高田智史が最初の志願者だった。女子スタッフとともに試行錯誤を繰り返したが、明確な成果を出せず、チーム内でも価値をなかなか認めてもらえなかった。 分析スタッフの努力はようやく2006年に成果となって現れる。分析の結果から立命ディフェンスの骨組みが明確に見えてきたのだ。そこにはもう一つの要因があった。マネージャー樽井俊晴が理工学部と総合政策学部の教員を巻き込んで、戦略解析システムの開発に取り組み、分析データと手書きの画像(いわゆるホワイトカード)とプレーの映像を統合した分析システム「FITERS」(Football Integrated Technology for Evaluation and Research Systemの略)を開発した。このシステムを分析スタッフが利用し、立命の複雑な守備の戦術を解きほぐすことができた。この年のラン&シュートによるパスオフェンスの成功と、5年ぶりのリーグ優勝はこの成果なくしては語れない。 この「陰の部隊」は、オフェンス、ディフェンス、キッキングで毎年10人ほどが日々、PCに向かって格闘している。2021年度卒業生までに累計が70人を超えた。 歴史を振り返れば、最初に取り組んだ者はまさに「産みの苦しみ」を味わった。開拓者は報われなかったことが多い。しかし、その一滴が少しずつ大きな流れとなり、今ではその後継者たちは不可欠で当たり前の存在として活躍している。この項を書きながら、彼・彼女らの悪戦苦闘を思い出し、胸が熱くなった。59

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