関西学院大学アメリカンフットボール部|創部80周年記念誌
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BTBTCMNCBTBNBNSTEBTBNBN図1 アメリカンフットボールは、戦略・戦術の比重が極端に大きい特殊なスポーツである。プレーが毎回止まることで、作戦会議(ハドル)が可能となり、次のプレーをコーディネーターがコールし、フィールドの選手全員がそのプレーにおいて定められた役割を精密に遂行する。プレーの成否は、戦術の質の高さ、プレコールの的確さに大きく左右される。試合結果の3割ほどはプレイコーラーとしてのコーチの力量によると感じてきたし、もっと言えば、 6割ほどは試合までに練り上げられた戦略・戦術の優劣がそのまま反映する。それだけにライバル校よりも有効なオフェンス、ディフェンスの戦術を創り出せるかどうかの頭脳戦が、ライバル校のコーチとの間で連綿と繰り広げられきた。この30年間も例外ではなく、米国の最先端の戦術情報をどのように早く収集し、自分たちに適した形にアレンジして磨き上げるかに監督・コーチ、4年生が腐心してきた。将棋や囲碁にも例えられるほどの知恵の絞りあいはフットボールの最大の魅力の一つだが、他校に後れを取れば苦汁をなめることもあった。 1991年、伊角監督がオフェンスコーディネーターを兼ね、前年までのパスオリエンティッドの「ラン&シュート」から、ランを中心としたバランス型へと転換した。Veer、カウンター、ブラスト、トラップ、ピッチアウト、リードオプションなど多種のランプレーを、アンバランスを含めた多様なフォーメンション、シフト、モーションから繰り広げた。また、QB東村がプレイアクションやブーツ、ロールアウトからスローイングポイントを変え、ラッシュをされながらもクイックリリースで正確なパスを決め、最強と言われた京大を二度撃破した。ミ図2小野 宏(1984年卒)クロのライン戦でもDLやLBにキーリードをさせにくくする工夫が組み込まれていた。本場米国で攻守蹴すべてを学んできた伊角氏(現役時代はOL・LB)の集大成とも言うべきオフェンスで、前年リーグ6位からの王座返り咲きを果たした。 93年は、オフェンスは能力の高い人材がそろっていたが、軸となるプレーが定まらずにいた。そんな中、平成ボウルで来日していたアリゾナ州立大のOLコーチ、ダン・コゼット氏を夏合宿に招聘してIフォーメーションからFBがどちらかにずれた「オフセットI」隊形によるゾーンプレーを徹底して磨60FSWTSS30年間の戦術の変遷オフェンス(1991-2001)1993年京大戦で使った「MOSRA」隊型マン・ツー・マンのマン・ツー・マンの問題点問題点ゾーン・スキームのゾーン・スキームの有効性有効性11

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