図3いた。ゾーンのスキーム(図1)はNFLでもカレッジでも一般的になっていたが、我々はまだこの新しい概念によって汎用性を高めたランプレーを修得できずにいた。 コゼット氏は、スプリットを極端に縮め、タテめのゾーンブロックをステップから丁寧に教えてくれた。かつてのマンツーマンを中心としたスキームから、ダブルチーム、あるいはコンビネーションブロック(いわゆる「コンボ」)を組み入れてきてはいたが、そのブロッキングスキームを進化させ、自分のエリアに来る選手をブロックするゾーンブロックを本格的に導入した。成功すれば、ほとんどのブリッツ、ムーブ(DLスラント等)、スタンツ(DLのクロス)に対応できる万能のプレーとなる。大型で機動力があるOLに加え、インテリアラインの経験のある大村(現監督)をTEに置くことでエッジが押しあがり、ランナーのコース取りは自由度が高まった。全勝同士の最終戦、京大が5-2を使ってきたこと(左右イーブン、DLがOLの正面にアライン)で、ゾーンブロックの効果をフルに発揮することができた。また、試合途中に雨が激しく降ったことは、ランプレーの比率が高い関学オフェンスにとって幸運だった。ほとんど隙間なくセットしたOLがDLを2on1で処理しながら、時間の経緯とともにLBの位置に応じてどちらかがブロックに出る。この試合は、TE大村をシフトでウイングにして左右にモーションさせながら常にオーバーナンバー(数的優位)を創り出し、徹底してランプレーで攻めた(図2)。RB前島は体幹の太さを生かし、まるでラグビーのモールのようにOLと一体となって進み、もう一人のRB林は内外にカットバックして守備を翻弄した。このゾーンプレーとカウンターはランにおける表裏となって相乗効果を発揮した。結果として京大戦ではボールコントロールに徹して24-14で勝利し、甲子園ボウルは日体大に対して51回のランで420ヤードを獲得して日本一に輝いた。 しかし、ゾーンプレーの成功は長続きしなかった。ライ バル校の守備が、「ギャップコントロール」の概念を94年に導入すると、あっという間にゾーンブロックのアドバンテージが落ち始めた。DLがOLの正面についてHit & Reactするディフェンスから、DLがOLのshade(半分ずれて)にセットして縦にペネトレイトする4-3の登場である。京大は4-3College(いわゆる「マイアミ」)というLB3人がボックス内にセットし、LB同士のクロスブリッツを多用した。この守備にゾーンをかけようとすると、OLはどちらのサイドにかけても自分の外肩にいるDLを自分の内肩において押さなければならない。たった身体半分のアラインの差で、OLは困難なアサイメントを強いられることになった(図3)。94、95年はshadeの守備に対応できず、関学はゾーンとともに苦境に陥って京大に2年連続で完封された。 96年に3年ぶりに京大に勝利したオフェンスは、ラン偏重のオフェンスを抜け出すために取り組んだ90’sの成功が大きかった。それまでのドロップバックのシリーズは60’s(Yがリリースし、RBはチェック&リリース)、70’s(Yがステイ)とも4-3カレッジからのクロスなどオーバーロード(片側から4人のブリッツ)には対応できなかった。パスを投げようにもプロテクションがもたないことが多いことから、TEを完全に残して内側に詰めるアサイメントの90’sを1backから多用することをゲームプランの中核に据えた。これによってどのようなブリッツも完全に処理することが可能になっ61
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