関西学院大学アメリカンフットボール部|創部80周年記念誌
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図2小野 宏(1984年卒)図1 2002年から2005年までの4年間、関学は新たなオフェンスを模索する試行錯誤の時期に入っていた。 大きな要因の一つは、米国でラン・オリエンティッドのショットガンが新しい潮流として急速に広がり始めていたことだ。立命館大学はラン・パスともに秀でたQB高田を使っていち早くこの攻撃を取り入れて得点力を上げていた。我々はその前年まで軸としてきたbellyやcounterといったプレーを軸としたダイレクトスナップからのオフェンスを継続するのか、ショットガン体型に移行すべきか悩んだ末にその併用をめざすこととした。 ラン・ショットガンは、ゾーンのバックサイドの守備選手をフリーにしてQBがRBに渡すか(Give)、抜いて自分が走るか(Keep)をオプションする「Zone Read」に核心がある。5人のOLで5人の守備第1・2線をブロックしなければならない従来のダイレクトスナップのスキームから、5人で4人をブロックすればよくなる(図1)。1970年代に猛威を振るったトリプルオプションのQBの技術(Give or Keep)を再利用することで戦術面での革命を起こし、その後は日米のフットボールチームの大半がこのショットガンを採用することになる。 我々は、大村現監督が社会人チームのコーチ時代にノースウェスタン大学の「Dart」と呼ばれるプレーシリーズを紹介してくれたことで、ショットガンに取り組み始めた(図2)。 しかし、このダイレクトスナップとショットガンの併用は思ったようには進まなかった。同じゾーンでもタイミングやRBの走る角度が異なり、プレー数が2倍になって精度が落ちた。苦心して蓄積していた、プレーごとの細かなノウハウを半ば捨てざるをえなくなり、結果的にプレーの“引き出し”を一から作り直さなければならなくなった。成功体験を捨てきれず、中途半端な導入方法を選択したため最新の潮流に乗り遅れた代償は小さくなかった。それが2002-2005年度の4年連続で甲子園ボウル出場を逃す結果につながった。 もう一つの要因は、立命守備を崩す糸口がまったく見えなくなってしまったことだった。立命のプロコーチたちが強力なリクルート網を構築してすぐれたタレントを東西から圧倒的に集めていたのは確かだが、鉄壁の守備が確立されたのは人材の差だけではなかった。米国大学から導入した最先端の包括的な守備システムにより、戦術的に優位なポジションを確立されてしまった。当時はその守備システムの仕組みを解明できていなかった。 立命守備の構造を解剖することができたのは、分析スタッフ体制の確立によるところが大きい。2005年度のRB高田智史がスタッフに回ったことから始まり、メンバーが増えてデータ整理と分析の礎が2006年度にはおおよそ整った。そして、立命守備のシステム構造と、個別のサインの特徴と意図、そして背後にある明確な哲学が見えてきた。そこには、理工学部情報科学科・早藤貴範教授の研究室と総合政策学部・中條道雄教授のゼミとファイターズの三者共同の戦略解析システム「FITERS」の開発も大きな助けとなった。6630年間の戦術の変遷オフェンス(2002-2010)ショットガンからのゾーンリードノースウエスタン大学から導入した「DART」13

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