関西学院大学アメリカンフットボール部|創部80周年記念誌
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2000年代はリッツガンに始まり、ショットガンの特徴を最大限に活かしたオフェンスがあらゆる大学で展開されるようになった。その代表的なものが“Wildcat”であり、もう一方が“Empty”である。とにかくオフェンスのやりたい放題の時代が到来する。対抗するに重要なのは、LOSをコントロールする力、そしてDBのタックル力は永遠である。 2000年代に入りいきなり現れたのは、“Rits Gun”と呼ばれるショットガンからのオフェンス。2002年1月のライスボウルで対戦したアサヒ飲料も同じようなオフェンスを展開していたが、このショットガン、「パスの威力を何倍にもしつつ、ラン主体の攻撃が可能なオフェンス」との印象だった。このオフェンスに対してはNickelまたはDimeのメンバーで配置を考えつつ、ランに対してどう守るか、が問われた。 当時はまだオフェンスの攻め方も単純だった。とにかく11人全体の配置(隊形)ごとに見られる傾向のみならず、アライメントの微妙な差異や個人の特徴を徹底的に分析し、それらから事前に予想がつくことを判断基準にしたLOSコールを幾つかもって臨んだと記憶している。DBは後列に5人並ぶもの…1980年代にはこれが7人だったが、ランの脅威があまりも大きく、5人が精一杯だった。いや、5人で十分だった、が正しい表現であろう。 各チームでSFがLB化するBuzzなる動きが増えてきた。90年代に、いわゆるC-2ルックが主流となり、ボックス内の人数が減ったディフェンスが多くなった。それだけパスの堀口 直親(1987年卒)脅威が高まったのだが、2000年代にはNickelやDimeのようなDBを増やしたディフェンスが効果的になり、且つフロントに思い切ってラッシュさせるためにどうしても開いてしまうボックスをSFが埋める、あるいはOLB(Nickel)が中に寄ってくるという対処法を要するようになった。関学ディフェンスはこのあたりで少し出遅れてしまう。その理由は後述するが、ショットガンオフェンスが多彩な攻め方を見せるようになり、劇的に変化したのは、DLineの役割、だった。 DBのラン参加の頻度が高まれば、DLineのパスラッシュやLBのパスカバーなど、フロント陣のパスに対する役割がかなり重要になってくる。パスを予想しディフェンスを拡げれば、当然ながらボックス内が少なくなる。今度は逆に、DLineやLBがいかにランプレーに対して有効に働くかが問われてくる。 2000年代序盤から中盤にかけて最も苦しかったのは、このボックス内の台所事情だった。DBにラン参加させるためにはDLineのLOS支配力、ラッシュ力がとにかく問われる。90年代にはDBの力量が問われると書いたが、この2000年代は「フットボールはライン次第、ディフェンスはDLin次第」と改めて痛感した。殊にショットガンオフェンスはオ6830年間の戦術の変遷ディフェンス(2000-2010)リッツガンカバレッジの多様化LOSコントロールの重要性14

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