大村 和輝(1994年卒) 2011年はファイターズがR&Sのパス主体のオフェンスからバランスアタックに移行しはじめて3年目、今年負ければ甲子園に4年間行けない、つまり甲子園を知っている現役学生がいなくなるというファイターズにとって非常に重要な年であった。ゲームではオフェンスが攻めきれず、ディフェンスが奮起するものの粘りきれないといった展開が多く、オフェンスの立て直しが必要なのは明らかな状態だった。関西リーグは関大が2009年に優勝し頭角を現し混沌としていた。相手ディフェンスでいうと素晴らしいタレントを擁しGAPディフェンスをベースとしたアグレッシブな立命、強力な守備ラインと独特なカバレッジを織り交ぜた関大、タレントは多少落ちようとも徹底されたいやらしい守備の京大など、多様な相手が揃っていたが、中でもやはりタレントが豊富でスピードのある立命ディフェンスが最大の難敵だったのは間違いない。 2010年度シーズンが終わった後、神田コーチと2人で年末までミーティングをしながらオフェンスの方向性を探っていた。どうすれば立命を崩せるのか?建設的なミーティングにはならず中々突破口が見いだせなかった。原因として大きくあったのが、個々の選手の力量差はもちろんだが、立命ディフェンスがルックも動きも複雑でそこに対して対応しきれない(頭を抱えるほど多彩であった)という事であった。良い選手が多い上に見た目も動きも非常に「ややこしい」、これに対して「合わせる」という発想が非常に厄介であった。相手がこうくるからこうする、相手のこのブリッツにこう対応する、こういう発想なので、多彩な相手に対してすべて対応していこうとするとキリがなく、安定したボール運びが出来る気がしない。つまりオフェンスなのに相手に合わせる「受け」の発想とでも言おうか。そんな出口の見えないミーティングが年を開けてもずっと続いていっていたが、転機となったのはその年春に訪れたミシガン州のGrand Valley Stateという2部の上位チームだった。1990年代後半に我々と一緒にコーチをしていたブライアンからおもしろいオフェンスをしていると教えてもらい、すぐにチャックミルズさんに相談し人脈をたどってみると、学長がCGA時代のチャックさんの知り合いですぐにADやHCを紹介してもらい訪問することが出来た。アメリカに行くとビッグスクールよりスモールスクールの方が工夫している事が多かったり、コーチも苦労している分親身になってくれることも多かったりする。コーチと一緒に立命戦の映像を見ながら色々な意見を聞き、また持っているパッケージの中でやれそうなものについて話を聞いていきながら、それをもとに我々なりにアレンジをしていった。その中で大きなきっかけとなったのは、7030年間の戦術の変遷オフェンス(2011-2021)15
元のページ ../index.html#70