小野 宏(1984年卒) 2010年、私は長いコーチ歴の中で初めてキッキングを担当することになった。攻撃・守備と有機的に結びつける戦略的なキッキングを実現するべきだ、とシーズン前のコーチ会議で訴えたのがきっかけだった。関西学生リーグでは、前年2009年に関大が卓越したキッキングゲームによってリーグ戦を勝ち抜いて日本一に輝いていた。キッキングと言えば関大、というのが関西学生リーグでの共通認識だった。逆に言えば、関学はリーグでトップレベルとは言えなかった。 3年生ながらキックリーダーとなったK大西(志宜)らと新たな挑戦に取り組んだ。しかし、この年、多くの成果が出ていながら最後に致命的な失敗を犯してしまった。立命戦でのラフィング・ザ・キッカーの反則と、関大戦のフェイクFGの失敗である。「リスクとチャレンジのマネジメントを正確にしていかなければならない。だから本格的にキッキングをコーディネートする人間が必要だ」──そう主張して取り組んだ結果が、正反対の結果を招いてしまったのだ。もっとも避けなければならなかった、取り返しのつかない結果だけが残った。 2011年、新チームで始まったキッキングのミーティング。キックのスペシャリストと、6つのパート(KC、KR、PC、PR、FG、FG-R)の学生リーダーたちが集まった。リーダー2年目の大西はキッキングのスローガンとして「GAME MAKE」を掲げた。どうすれば、キッキングで雪辱を果たせるのか。 私自身は仕事で平日の練習に参加できなくなっていたため、昼休みに職場横の会議室でミーティングを開き、弁当を食べながら学生らとともに戦略を練った。その一つがパントカバーであり、さらにその課題の一つが、敵陣でのパントだった。どうやったら相手をゴール前に貼り付けることができるか。より正確に言えば、相手の攻撃の開始地点を敵陣10ヤード以内にどう押しこむか。さらにはそこで「何か」を起こせないか──。 これまで我々はゴロのパントを転がしてそれを実現しようとしてきた。しかし、LBが下がったり、リターナーの一方が上がったりしてノーバウンドでうまく捕球され、目的を達成できずにいた。そこで大西が編み出したのが、2種類のハイパントだった。一つはNFLなどで見られる逆回転の高いパント。そして、もう一つは無回転のナックルパント。 甲子園ボウルは日大との4年ぶりの対戦。第2クオーター2分 過ぎ。敵陣45ヤードからの第4ダウンで3ヤードが残った。得点は7-0。4シリーズで3度目のパント。 “EAGLE”と呼ばれるワイドパントフォーメーションから高い軌道で蹴り上げられたパントは、逆回転と無回転の中間のようで、落下し始めると突然重力が弱まったように揺れ出した。ゴール前2ヤードで日大リターナーがフェアキャッチのサインを出し、よろけながら無理に捕球しようとした。ボールは手に当たって地面でバウンドし、ガナー大竹が間髪を入れずにリカバーした。直後のプレーでオフェンスがTDをあげ、リードが2本差に広がった。これは大西が1年かけて編み出した魔球の成果であり、日大リターナーが自陣5ヤード以内でもキャッチするという分析の成果であり、落球する可能性が高いと考えて、リターナーのすぐ横で待ち構えていたカバーチームの成果である。7630年間の戦術の変遷キッキングキッキング専従 コーディネーターの誕生甲子園ボウルでの 「計画された“奇跡”」17
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