このシーズン、6つのキッキングパートは大きな成果を上げた。 パントカバーは、敵陣に入ってからフィールドゴールを狙える30ヤードまでのエリアで、オフェンスとの融合を図った。4回の攻撃を想定したプレーコールを準備すること、フェイクパント、フェイクFG、オフェンス隊形からのパントを組み合わせる。また、パントを蹴る場合は10ヤード以内に相手を封じ込め、そこから守備もアグレッシブにコールして相手に自陣奥深くのパントを強要し、ブロックを狙った。攻撃とパント、パントと守備を連携させることでそれまで独立していた攻守蹴の統合的なプランが組み立てられていった。 パントリターンは、リターンを狙うことよりも、確実にノーバウンドでキャッチできることを最優先に考えた。リターナーが安易にキャッチをあきらめるとボールが転がって10ヤード、15ヤードを簡単に損失する。それがオフェンスにとってどれほど負担になるかをオフェンスコーディネーターとして身をもって味わっていたからだ。 キックオフカバーも助走の付け方、ブロッカーをかわすファンダメンタル、キックのバリエーション、クロスのデザイン、人材の入れ替えなどさまざまな工夫を凝らして、シーズンを通してほとんど20ヤード以内に抑えた。 プレースキックもこの年は春秋を通じてTFP48本すべて成功、FGも32本中28本成功。スナッパー、ホルダーらの精度こそがこの数字を可能にした。こうした成果は紙の上での戦術プラン構築だけで実現したわけではない。練習において大きな改革がなされたのだ。毎日練習の最後に30分、6パートの実戦を数本ずつ行うこととした。そしてポストプラクティスの最初の10分をキッキングのファンダメンタルにもらった。毎日1パートずつ。それを翌日の私とのミーティングでレビュー合わせをし、直後の学生の昼休みに各リーダーから選手に伝える仕組みが確立した。ミーティングはどうしてもオフェンス・ディフェンスが優先される。その後に無理やりでも組み込むことで毎日のPDCAサイクルが回り始めた。こうしたキッキングチームの成功全体を評価されて、この年のミルズ杯(年間最優秀選手)はキッカーとして初めて大西が受賞した。 2012年にはライスボウルでキッキングの“大博打”を2回成功させて社会人王者を追い詰めた。 キッキングによるフィールドポジションの獲得は記録にほぼ残らない。しかし、長いコーチ人生の最後の3年間キッキングのコーディネーターを経験し、フットボールの全体像を初めて正確に認識することができた。分かっているようで、分かっていなかったというのが恥ずかしながら正直な感想だ。フットボールは“フット”ボールだった。そして、フィールドポジションの獲得競争というのがこの競技の本質である。いつもアメリカンフットボールを「陣取り合戦」と説明されてもピンと来ていなかったが、まさにその通り。攻守蹴の統合というコンセプトを具体化できたことは、その後もファイターズのアドバンテージになっていたと感じている。77攻守蹴の統合プランの作成キッキング練習の改革フットボールはやはり「陣取り合戦」
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