1 コーチになって数年経って、伊角富三ディレクター(当時)から言われたこと。「準備してるのか。大事な場面でのショートヤードは一年間かけて考え抜き、準備することだ」。このことが常に頭にある。2 小野コーディネータ(当時)からの要求。「(ショートヤードを取るプレーは)絶対に取れるものを作ってくれ。10回やったら10回とも確実にとれるショートヤードのプレーでないとダメだ」。よく考えてみると凄い要求だ。5 プレーそのものは前述のようにデザインされた。後はプレーヤーをどう配置するかを考える必要があった。私がコーチをしてショートヤードを準備するようになって「この1プレーにかけた漢(おとこ)たち」が存在するようになった。スペシャルプレーとしての位置づけが強くなってくると、スタートメンバーのOLに加えて、控えのOLや、体の大きい別のポジションの選手まで総動員してメンバーを配置していった。 「漢(おとこ)」と格好良く(親しみを込めて)言ってはみたが、その実はなんとも言えないメンバーたちである。体重が重くとにかく「おもし」としてなら一歩も引かない控えのOLや、DLではあるが大きな怪我をしたためにノーマルシチュエーションでのプレーはできないが、真っすぐの当たりならチームでも1,2を争う選手など。中には、膝の靭帯を損傷し3歩しかフルで動けないが、キックアウターとして道を開けることだけならできる選手を起用したこともある。 またパワープレーはプレーサイドに人間を多く配置するため、バックサイドからプレーをつぶすことを狙われたこと3 そもそもショートヤード用のプレーを考える前に、2000年あたりには、46シカゴというダブルeagleで且つTEをLBとDBで挟み、カバーはc-11の守り方で立命が強力な守備を持っていた。古結コーチ(当時)と1999年スタンフォード大学のサマーキャンプに訪れたときに、OLコーチにこの守備に対して有効なプレーは何なのか聞いた。彼はスタンフォードに来る前はメリーランドでOLコーチ、攻撃コーディネータをしていた人物だった。質問した時に、私のつたない英語を聞き終わる前に「パワーだ」と言ったのを覚えている。「ウィークサイドのパワー?」と聞き直したら、「ノー!ストロングサイドだ」と彼は言った。この考え方こそ、ファイターズにおいて長くショートヤードで使われ、現在もその考え方を発展させて使っているパワープレーの原点である。 導入した当時はノーマルシチュエーションでの使用が主であったが、その後ラン&シュートなどパス攻撃に重きを置いた時期などには、そのプレーそのものをスペシャルプレーとして準備することとなってきた。4 構成はエッジプレーヤーを端に置き、OLが「壁」を形成神田 有基(1993年卒)し、キックアウターが外から差し込んでくるディフェンダーをその名の通りキックアウトし弾く。その間をリードブロッカーが縦に攻めて2線からの侵入を防ぐ。そしてその内側をボールキャリアが縦に走り抜ける。 エッジプレーヤーから並んだOLの数は変化を持たせることができるが、ガード、タックル、TEにプラスでTEをOLで入れたりなどして「壁」の形成を行ってきた。 またリードブロッカーもバックサイドのガードだけでなく、1.5線に配置したエキストラの TE/FBを配置することもある。7830年間の戦術の変遷ショートヤードの魂18
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